生活のこだわりから、自分を眺める・食事(1)

生活のこだわりを通じて、自己理解、自分のとらえ直しをしてみようという回。

 

生活する上でのこだわりって、些細なことでも人によって違うんだなということ、結婚すると特に意識的になった。

たとえば、わたしの夫は、お風呂(湯舟)に入らないと!と思うタイプ。夏でもできる限り湯船につかりたいらしい。わたし自身は、冬は湯船に入りたいが、まぁ夏は湯船はたまにでもいいかな、シャワーでいいし、、というくらい。

 

自分のこだわりは、意外と食べるものだなと最近気づいた。

基本的には自炊。外食は嫌いではないけれど、なんとなくの外食は気が引ける(金銭的にも)し、何より味の濃い食事があまり得意ではない。

「味の濃い食事」というのは、一般に外食でよくあるメニューや定食ということも意味しているし、ここは、賛否両論あると思うが、自分の作る料理は基本的に薄めの味付け、あるいは「素材の味をたべる」で十分と感じる味覚。毎日食べて食べなれてしまうと自分の味付けが一番おいしいと感じるようになるのだなーと思う。

最近は、どちらかというと低血圧でくらくらしているので、塩味はもう少しつけてもいいんでは?とも夫に言われてきたこともあったり、自分の味付けは薄味、とわかってきたので、塩を入れるときはできる限り意識して、自分の基準では「多め」に入れられるようになってきた。(これがちょうどいい味付けになるので、ひとまずはよし)

 

そういったシンプルな料理(といえば聞こえはいいが、手間のかからず味が濃くない料理)というのはやっぱり自炊が一番食べやすい。お弁当を持って行ったり、夕飯を自炊したり、面倒に感じることもあるけれど、やっぱりこれが自分のためだから、と思っていつも心がけている。

 

先週、珍しく体調を崩した。

一週間、風邪が治らない。こういう時にこそ、本当は食事を作るのも面倒に感じるのだけれど、

でも、こういうときだからこそ、自分で自分をいたわる料理をつくらないと、余計に気持ちが落ち着かず、そして気が休まらない食事になってしまうんだよな…と、お弁当も(豚汁)つくり、夕飯もぎりぎりのところで作って食べていた。

こんな生活のこだわりもある。自己理解の一歩。