読書の備忘録ー「沈黙の春」

沈黙の春、ようやく読めた。


災害や原発の被災地を端くれながらも研究してきて、その先に公害の被害地域をぼんやりと意識していたこともあり、読もうと思いながらおそらく数年積読にしていた。

なかなか有名な作品、古い作品をちゃんと読めていなかったこれまでを反省しつつ、四でよかったと思うので。

 

もちろん沈黙の春のトピックは殺虫剤であり、この本があったからこその状況の変化はあったと思うけれど、現代ではマイクロプラスチックの問題にも通じる議論なのだろうと感じた。プラスチックも、ある意味有機化合物であり、環境ホルモンとしての影響も指摘されている*1(理解していてもなかなか普段の生活では使わざるを得ないシーンも多いが)。

ひとつの昆虫の駆除、防除を目的としてDDTなどの有機系殺虫剤を高濃度、高頻度で散布することにより、その他の昆虫(特に対象となる昆虫を自然の生態系の中で獲物としていた虫や、人間にとっての益虫など)、魚や鳥などの周辺の自然環境、生態系全体が被害を受けているさま、そして人間にもその害が及んでいた。もしかしたら、その構造は100年に一度の津波から守るために一律の方針で津波対策の巨大構造物をつくり、その他の周辺環境や人間の暮らし方を検討しなかったさま(そして人間や社会と海との関係性を変えてしまった構造)にも近い部分があるのかもしれない、と思った。

もちろん生態系の話と、工学的な話として対象となる場所や被害を受けるものは異なるのだけれど。

長い年月を経て育まれてきた生態系(海の近くでの生活や営み)を、工業的・国家主導のやり方で、単一の目的のために多くが犠牲とされていること、そして取り返すのにはさらに多くの時間が必要とされること。

なにも共通点がないとは言えないのではないだろうかと思う。そんな中でも、立ち止まったり、「別のやり方」があるのではないかと考えること、時間をかけることはできないのだろうか?

もう一度読み返したいと思っている。そしてもっと早く読めたらよかった。

 

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自分のやりたいこと、眼差しを向けるべきことは何だろうと、ずっと考えている。いまいるところではできそうにないけれど、でも資本主義の世界の中でできることでもないのではないかとも感じている。

自分の中にも、理想を求める姿と、でもこういう暮らしがしたい、こういうことがしたいという部分とがあって、どうやって両立できるのかもわからないままに、今は何も自分の理想通りにはできていないという状態。

*1:ペットボトルや実験器具から「環境ホルモン」 | WIRED.jp そうか、でもプラスチックと環境ホルモンもまだまだ研究途中のトピックではあるのだな…。NHKのドキュメンタリーで不妊などの影響についても可能性があるというのを以前見た記憶があるけれど、ソースが追えず。