生活/今週のつくりおき

まぁ毎週つくりおきしてるけどなんとなく記録した方が傾向がわかるか?の試み。

 

5/6つくりおき

○主菜

・煮込みハンバーグ(半分冷蔵、半分冷凍)

・冷しゃぶ(冷凍×2)

 

○副菜

・きのこマリネ

・なす蒲焼き風

・厚揚げと大根のしょうが煮

・ゆでブロッコリー(半分冷凍)

・梅たたききゅうり

・レタス

 

○下味冷凍

・マヨささみ(→ささみカツにしたり、そのまま焼いたり)×2

・鶏もも唐揚げ×2

 

来週も食べるつもり、、でつくったもののお弁当にしたり朝昼夜食べてたりしたら週末で副菜は食べ切ってしまいそう、、よく食べるのはいいこと!でもなんだか切ない!まだまだどのくらいの量が適正か見極められず、です

煮込みハンバーグはこどもに大好評!つくおきのレシピ。こどもへの取分け方も書いてあるのがとても助かる。

 

 

5/10追記。

下味冷凍の唐揚げは、来客に合わせて食べちゃった!今回は唐揚げが上手にできた。じっくりあげたら、これが正解じゃん!と。

長らく夫婦で「唐揚げ研究会」と称して唐揚げを定期的に食べてた(研究会なのは、上手ではなくても向上していきたい、の気持ちで)けれど、

今回が一番完成度高かった!と話していた。

とはいえ作り置きも消費したので、週末のうちに↓を追加。

 

○主菜

・手羽中の魚醤焼き

・炒り豆腐(我が家で定番化)

・鶏そぼろ

 

○副菜

・白菜わかめ春雨のナムル

・小松菜と油揚げの煮浸し

 

1歳には鶏そぼろが好評。最近はお肉ブームで前好きだった野菜をなかなか食べてもらえずどうしたものか…と思っている。

 

育児記録/子ども、発熱(保育園全然行けない)

もうタイトルのとおり!

慣らし保育(4月中旬まで)後、一部は親の有休に合わせて休んだとしても行けたのまだ1日!

今週も、いよいよ週5日フルで働いて保育園、、と思っていたけれど日曜夜に発熱して、月曜から保育園はおやすみ。

噂には聞いていたけどこんなにも!と。

保育園に合わせてベビースイミングも始めたのが、慣れればきっと体力つくだろうなとおもうけれどまだまだ1歳児、オーバースペックだったかしら…。

 

いくらパパやばあばがいてもママに勝るものはないわけで。ママーと泣かれながらも、仕事復帰して代わりに家にいてくれることになれば出勤しており、、その度に心苦しい、そんなにまでして行く仕事?と思ってしまったり、こうしてママが頼りになるのってたかだか10年とかだろうにその期間をもっと近くにいてあげられないかとか。復帰してまだ1か月も経たないのにそんなことばかり考えてしまう。。

 

 

自分が幼い頃は働くママの方がかっこいいって思っていたけれど、でも犠牲にしなくてはいけないものがあって。思い返すと家に必ずお母さんがいる生活が当たり前だったこと、そういう安心感を与えられないのかなとおもうとそれでいいのかなと不安になる。

まぁでもこれで両立ができなければ誰も共働きなんてやっていられないよね、とも。

育児録/子どもが靴履いて歩いた!

まさにその通りなのだが、靴を履いて外に出て、そしてついに歩いた!

当たり前のように思えることが当たり前ではなく、新鮮な成長であること、とても尊い

 

数歩歩けたらファーストシューズデビュー、という情報をそれなりに真に受けて買ったものの、なかなか靴を見るだけで泣くことが続いていた日々…。

10歩程度ではまだまだで、もっと歩けるようになってからの方がスムーズ、という情報を見て気長に待っていたけれど、さすがにそろそろ行けるのでは?と思って試してみたところ、靴履いて、立つ、くらいまでは泣いてたけど意外と平気だと気がついて、はじめは手を繋ぎながら、だんだん慣れたら手を離して、すたすたと歩いてた。順応性すご。

 

とはいえ、社会的なルールや危険性なんかはまだまだ分からないわけだし…成長に合わせて、親の危機管理能力、親としてのスキルアップも同時に求められていくんだな、と改めて思うなど。

 

 

寒さと寂しさと

いつになく、孤独感がある。

今日は買い物に行った。あまり期待していた接客が受けられず、それでもそこで買わないのも自分の悪い癖だし時間がもったいないし、と、無理に買ったけれど後からもやもやして気持ちも疲れてしまったし、寒さで体も疲れた気がする。

 

 

たまたまワンオペ育児のことで、知り合ったばかりの近所のママとやりとりをしている。

 

単身赴任なんです、って全部説明するたびに、自分がそこまでして今の仕事を続けようとなんとか頑張ってるのもそこまでする意味あるのかなって思う。ただお金だけならもっと柔軟で割りのいい仕事ってあるんじゃないかとか。

自分はキャリアをどこで諦めたのか、それとも元々こんなことをやりたい、という強い思いはきっとなかったということなのか…。

 

一方で、こんなに悩ませて家事育児の負担や孤独やあらゆるさまざまな、負担を受けていても夫は責められなくてむしろその決定をする会社にもう少し、わたしの人生に対しても責任持ってくれないかな?って思ってしまったりする。

流れてきた風やチャンスにはできるだけ乗りたいと思っているけれど、それでもわたしにとってその辞令は、チャンスでもなんでもなく、ただただ本当は2人で協力して、とか、助け合って、できたかもしれない生活をひとりでこなすように課せられた負担でしかないんじゃないかって思う。

夫にとっては仕事の研鑽機会になっているかもしれない。わたしだって一人暮らしならまだ、わたしも一人暮らしするか、仕方ないか、と思えた。

平成の時代や、シングルで子育てしている人を思えば大きな声で不満は言えない。

 

大変な分、ちゃんと大変だと言って回って分かってもらえるし、周りの人に助けてもらえるようにできるだけ抱え込まないようにと考えるスキルも上がった。周りもみんな優しい。でもやっぱりずっと、もやもやしてる。

生活のこだわりから、自分を眺める・食事(1)

生活のこだわりを通じて、自己理解、自分のとらえ直しをしてみようという回。

 

生活する上でのこだわりって、些細なことでも人によって違うんだなということ、結婚すると特に意識的になった。

たとえば、わたしの夫は、お風呂(湯舟)に入らないと!と思うタイプ。夏でもできる限り湯船につかりたいらしい。わたし自身は、冬は湯船に入りたいが、まぁ夏は湯船はたまにでもいいかな、シャワーでいいし、、というくらい。

 

自分のこだわりは、意外と食べるものだなと最近気づいた。

基本的には自炊。外食は嫌いではないけれど、なんとなくの外食は気が引ける(金銭的にも)し、何より味の濃い食事があまり得意ではない。

「味の濃い食事」というのは、一般に外食でよくあるメニューや定食ということも意味しているし、ここは、賛否両論あると思うが、自分の作る料理は基本的に薄めの味付け、あるいは「素材の味をたべる」で十分と感じる味覚。毎日食べて食べなれてしまうと自分の味付けが一番おいしいと感じるようになるのだなーと思う。

最近は、どちらかというと低血圧でくらくらしているので、塩味はもう少しつけてもいいんでは?とも夫に言われてきたこともあったり、自分の味付けは薄味、とわかってきたので、塩を入れるときはできる限り意識して、自分の基準では「多め」に入れられるようになってきた。(これがちょうどいい味付けになるので、ひとまずはよし)

 

そういったシンプルな料理(といえば聞こえはいいが、手間のかからず味が濃くない料理)というのはやっぱり自炊が一番食べやすい。お弁当を持って行ったり、夕飯を自炊したり、面倒に感じることもあるけれど、やっぱりこれが自分のためだから、と思っていつも心がけている。

 

先週、珍しく体調を崩した。

一週間、風邪が治らない。こういう時にこそ、本当は食事を作るのも面倒に感じるのだけれど、

でも、こういうときだからこそ、自分で自分をいたわる料理をつくらないと、余計に気持ちが落ち着かず、そして気が休まらない食事になってしまうんだよな…と、お弁当も(豚汁)つくり、夕飯もぎりぎりのところで作って食べていた。

こんな生活のこだわりもある。自己理解の一歩。

 

最近のこと(免許の限定解除をしたこと、語学学習や仕事)

本当はテーマを絞って考えるべきと思いながら、ひとまず自分のパソコンのキーボードをたたくのが久しぶりで、そしてとにかく自分の思うことをひとまず書いてしまうべきなきがしてきたのでひっくるめて書いてしまう。

 

今月に入って、運転免許のAT限定を解除した。結婚相手が持っていた車がMT車であり、そして次に乗り換えるのも同じくMT車(唯一のこだわり)ということで、学生時代にAT限定免許をとりたまーに実家で運転していたわたしはここ数年助手席固定だった。車を買い替えるという段になって、やっぱり運転できたら楽しそうだな、という気持ちが出てきて、このEVへの移行が叫ばれる時代にMT車の教習をして免許を取ったのです。
初回の教習のときは、もう無理では…という絶望感があったけれど、そしてその気持ちを裏切らず本来4回の教習で終えられるという限定解除の教習を4回追加(倍!)という課金ぶりだったけれど、それでも最後には「運転できる!」という気持ちを持って教習を終えられた。あーあー!
まだたかだか20代後半だけれども、でもできないことはない、やればできる!ということを(課金と、ハードルの低い運転教習によって)感じることが出来たのはよかったかも、と思ってもいる。最近は資格や語学への挑戦の意欲もだんだん弱くなってきてしまっていたので…。

 

というわけで、語学を勉強しようというモチベーションが少しずつ上がっている。特に何がしたいという目標は漠然としたものしかないのだけれど、でも最近熱を上げているF1観戦や動向のウォッチング、あと文学や芸術などへの触れ方としての選択肢がほしいというところ。仕事?や生活?にも何かしら役に立つといいのだけれど。

 

そして仕事。モチベーションが入社以来下がり続けて3年。社会で働きたくない…まで気持ちが落ちている。何ができないというわけでもなくて、正直ぬるま湯の中で徐々に何もできなくなっているように感じられる(のにきっちり一日10時間くらい拘束されている)のが一番のフラストレーションかもしれない。付随的には仕事にあまり意味が感じられなくなってきているとか、なにをしているのかわからないまま日々が過ぎているとか、まわりも見えなくなってきて仕事がよくわからなくなってきているとか、いろいろあるけれど。
将来的にも今の職場で働き続けるとか、昇進するといったビジョンが全然見えないのだよな…。異動もきっとするけれど、今後仕事にどれだけ自分がやりがいや意義を見出せるのか、もう3年目でわからない…。

思い返せば小学生のころから現実逃避志向があって、現実よりも未来に希望を持とうとしていた(たとえば、次の学校に進めばもっとよくなるとか)。人間関係がなかなかうまくいっていないと(自分の中で)感じていたというか、人間社会での関係性づくりといったところにもどかしさや苦手意識がどうしても抜けないし馴染めないような感覚がずっとある。仕事においても人とのかかわりがどうしてもストレスっぽくなっているような感じがあるし、できるなら人とのかかわりを小さくして生きられないか…と事あるごとに考えてしまう。

 

暗い気持ちになってしまう。仕事嫌って言っていても働かなきゃいけないのだから後ろ向きにならない方がよいよといわれても、そうだって理解しているしひとまず表向きは頑張っていて、自分でも何をこれ以上変えればいいのかわからなくって、でも今の状況に何も悪いところはないんじゃないかっていうことは頭の片隅ではわかっているからどうしようもなくなってしまう。

状況をどう変えるのか、あるいはどう捉え直すのかということ…。ひとまずは出来そうもないから、現実の中で他に注目すべきことややるべきマイルストーンを立てて心を保っていくしかないのかもしれない。そのためにはこうやって自分のためにキーボードをたたくことも一つの選択肢。

読書の備忘録ー「沈黙の春」

沈黙の春、ようやく読めた。


災害や原発の被災地を端くれながらも研究してきて、その先に公害の被害地域をぼんやりと意識していたこともあり、読もうと思いながらおそらく数年積読にしていた。

なかなか有名な作品、古い作品をちゃんと読めていなかったこれまでを反省しつつ、四でよかったと思うので。

 

もちろん沈黙の春のトピックは殺虫剤であり、この本があったからこその状況の変化はあったと思うけれど、現代ではマイクロプラスチックの問題にも通じる議論なのだろうと感じた。プラスチックも、ある意味有機化合物であり、環境ホルモンとしての影響も指摘されている*1(理解していてもなかなか普段の生活では使わざるを得ないシーンも多いが)。

ひとつの昆虫の駆除、防除を目的としてDDTなどの有機系殺虫剤を高濃度、高頻度で散布することにより、その他の昆虫(特に対象となる昆虫を自然の生態系の中で獲物としていた虫や、人間にとっての益虫など)、魚や鳥などの周辺の自然環境、生態系全体が被害を受けているさま、そして人間にもその害が及んでいた。もしかしたら、その構造は100年に一度の津波から守るために一律の方針で津波対策の巨大構造物をつくり、その他の周辺環境や人間の暮らし方を検討しなかったさま(そして人間や社会と海との関係性を変えてしまった構造)にも近い部分があるのかもしれない、と思った。

もちろん生態系の話と、工学的な話として対象となる場所や被害を受けるものは異なるのだけれど。

長い年月を経て育まれてきた生態系(海の近くでの生活や営み)を、工業的・国家主導のやり方で、単一の目的のために多くが犠牲とされていること、そして取り返すのにはさらに多くの時間が必要とされること。

なにも共通点がないとは言えないのではないだろうかと思う。そんな中でも、立ち止まったり、「別のやり方」があるのではないかと考えること、時間をかけることはできないのだろうか?

もう一度読み返したいと思っている。そしてもっと早く読めたらよかった。

 

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自分のやりたいこと、眼差しを向けるべきことは何だろうと、ずっと考えている。いまいるところではできそうにないけれど、でも資本主義の世界の中でできることでもないのではないかとも感じている。

自分の中にも、理想を求める姿と、でもこういう暮らしがしたい、こういうことがしたいという部分とがあって、どうやって両立できるのかもわからないままに、今は何も自分の理想通りにはできていないという状態。

*1:ペットボトルや実験器具から「環境ホルモン」 | WIRED.jp そうか、でもプラスチックと環境ホルモンもまだまだ研究途中のトピックではあるのだな…。NHKのドキュメンタリーで不妊などの影響についても可能性があるというのを以前見た記憶があるけれど、ソースが追えず。